作者:小川 洲洲
これまでの経緯
そして、作者が本にしたい理由
私は、過去の栄光を自慢するような行為は、好きではありません。
ですが、「本書のため」と心に決め、
私はあなたに、ここで最大限、自己アピールします。
もちろん、誇大表現や虚偽はなしとします。
そうそう、以前何かの本で読んだことがあるのですが、
「自分を知ってほしい」という気持ちは“善”なのだそうです。
小川 洲洲 は、ペンネームです。
私は、音楽制作をしていました。
(本書に関わるようになってから、音楽制作は休んでいます。)
1996年、世界に類を見ない、世界記録(現在まで破られていない)も
持っている作品を制作して世に出した経験があります。
それは、全曲、自身による作詞/作曲/プロデュースのソロアルバムでもあります。
1996年当時は、バブル経済も破綻していて、全体的に予算は縮小傾向にありました。
バブルの時期でさえ、メジャーなレコード会社からデビューできる人の数は、
司法試験合格者よりも東大の合格者よりも少なかった。
私は、そのような状況下で、
エピックソニー(現ソニー・ミュージック)、
外資系のポリドール傘下のレーベル『キティレコード』、
そしてビクターエンタテインメントの3社よりメジャーデビューのオファーを勝ち取り、
最終的に、当時、日本では最強のサウンドを作っていたバンド『BUCK-TICK』担当の
ディレクター、田中淳一氏を担当にビクターエンタテインメントで
自身のソロアルバム制作を開始します。
(私がビクターを選んだ決め手になったBUCK-TICKのdarker than darkness
というアルバムは、1曲目や構成など、今聴いても衝撃的です。)
バンドやユニット全盛の時代でした。
無名の人物が潤沢な予算でソロアルバムを作らせてもらえること自体珍しいことでした。
すべてが破格の待遇でした。
例えば、今をトキメク人気アーティストが「46分の組曲をレコーディングしたい」
と言っても、レコード会社は作らせてくれないはずです。
「そういう趣味的なモノは自主製作でやってください」と言われるだけでしょう。
私がレコーディングで使用していた最先端のサンプラーという機材は、
当時の坂本龍一氏の機材よりも容量の大きな新製品でしたし、
音楽プロデューサー小室哲哉が当時知らなかったブレイク・ビーツの手法を使って
レコーディングしていました。
デジタル時代では、最もレコーディングテープを大量に使ったアルバムになりましたし、
当時最先端のソニーの48トラックのデジタルマルチトラックレコーダーを2台
シンクロさせてレコーディング作業を行った人物は他に誰もいませんでした。
最終的には、ソニー製の48トラックのデジタルテープと三菱製の32トラックのデジタル
テープと24トラックのアナログテープを同時に回す、という(合計104トラック!)
狂気の域に入っていました。(現在まで、誰もやっていない!)
タイアップ無し、動員実績無し、見た目も美男子でなく、
アーティスト自身はライブ活動などのプロモーション活動を一切行わない、
流行に合わせず「アップテンポの曲を1曲も収録しない」「英語の歌詞を入れない」など、
あらゆる面で特別扱いだったのでした。
中でも、「レコーディングした」にも関わらず、いきなり“お蔵入り”にした曲が4曲も
あったこと。
シングル用のミックスを作成してジャケット用の撮影も行われたのに、
シングルCDを出さなかったこと。
ビクターの社員から
「君がゴージャスなレコーディングをしていた1年半の間に、
ビクター全体で200人のリストラがあったんだよ」と言われました。
あ、私のアルバムの世界記録は、
「新人のデビューアルバムとしては、史上最もレコーディング費用を使った作品」
「史上最も長いデビュー曲(アルバムデビューで、1曲目が46分)のアーティスト」
「史上最も長いデビューアルバム(CD規格の収録時間限界)」
「デビュー作としては、最もレコーディング期間(制作期間ではない)が長かった」
です。
その後、28才から42才までの私は、
「世界最高のロックアルバム」と呼ばれている2作、
ザ・ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』と
ザ・ビーチ・ボーイズの『ペット・サウンズ』に匹敵するアルバムを作る!
という挑戦をしていました。(どんなに無謀に見えても、挑戦するのは自由です。)
その挑戦の過程で、数年に渡って『最強の歌詞』をひたすら考えていていました。
その中で生まれたのが本書の内容です。
元々、『人類が存在する理由』の新説を求めて生み出された文書ではないのです。
ちなみに、最高のアルバム制作は、
同じメロディーの繰り返しが出てこない曲であり、
「誰も聴いたことのない音楽」の領域には達しましたが、
「日本語の歌詞で歌うのか?」
「英語の歌詞を作って英語圏のシンガーに歌ってもらった方がいいのか?」
という難題にぶち当たり、その課題が解決しないまま中断しています。
ビートルズとビーチボーイズには、「ソングライターとしてのピークとアイディアマンとパフォーマーとしてのピーク、そして人気と若さが重なる。」という奇跡がありました。
彼らには類まれな才能がありました。それは、彼らに挑戦した私が、一番よく理解しているかも知れません。
私は、制作に必要な機材と、制作に集中できる環境と資金を得ていました。
挑戦するかしないかは自由ですし、
「匹敵する作品」という目標に到達する勝算はありました。
作詞/作曲/編曲作業は、組織力で勝敗が決まるわけではありません。
当時は使えなかった録音技術と、予算の制約も、
締め切りという期限もありませんでした。
そして私には、未発表のメロディーやハーモニーの断片ストックが、500以上
ありました。
『サージェント・ペパーズ…』と『ペット・サウンズ』を研究してわかったことの一つには、当時の彼らに特徴的なリズム感がありませした。そのリズムにメロディーを当てはめ、それらをつなぎ、曲構成の実験を繰り返し、「ブライアン・ウィルソンとポール・マッカートニーとジョン・レノンだったらどうするだろう?」と、長年愛聴してきた彼らを想像&想定しながら、
「彼らだったらボツにするな」というメロディーを切り捨て、
メロディーやフレーズ内の音符の数と音の長さを磨き、
和音を不協和音になる限界まで広げ、
的確な速さに設定して、使用する楽器を何度も入れ替え、
的確な残響と原音の輪郭を模索し、
再生と修正を繰り返しながら、数年間かけて36曲に絞り込みました。
私は、様々な『名盤』や『試みは優れていたが成功しなかった作品』なども聴きまくり
ました。
幸い、私には、良いメロディーと凡庸なメロディーとの区別と判断ができて、
楽器の倍音構成も理解していて、
「誰もここまではやっていないだろう」という線を超えた領域もわかっていたのです。
それら未完成の音源は、全38曲、YouTubeで聴くことができます。
star wave moon guitarのMy Pet Sounds再生リスト『子供の眠りのための音の美術館』
それらの『最強のアルバム』の制作経過で「最強の歌詞」を求め、
思索の旅、歌詞創造の日々が始まったのでした。
時々、音楽の裏方の仕事をしながら、
いつしか私は動物愛護により強い関心を持つようになり、
動物愛護ソングを作るようになりました。
現在、私は「世界で最も動物愛護ソングを作った人物」になっています。
他に、もっといてもいいのに!
私は、動物愛護ソングだけで40曲近く作っているのです。
ある日、ボブ・ディランの映画『マスクド&アノニマス』という作品を観ていて、
動物愛護の人物が登場するシーンに出会いました。
彼の意見は、多くの優しい人々の気持ちを代弁していると思いました。
彼の中の「人間に対する絶望」は、多くの人が抱えている苦しみだと思いました。
私が53歳になった年、2021年2月22日(猫の日)に、
私の血が流れている子どもが誕生しました。
私は、ボブ・ディランの映画の中の動物愛護の人、
彼のような優しい人々を救えるかもしれないと、思いました。
私の作詞の中に、そんな人々を救える部分を再発見したのです。
私の“思い”は、調べていくうちに“確信”に変わって行きました。
人間の存在理由、
それまでは、仏教でいえば従来の説はすべて“小乗”であり、
“大乗”にあたる考え方や理論はありませんでした。
この説(仮説)は、誰も考え出したことのない“大乗”でした。
なぜ、神は、もっと有名で影響力のある人物に気づかせなかったのか?
わかりません。
宗教的に中立な地域である日本で誕生した。そこに意味はあるように思えます。
私には、文章にする力と、原稿という形にする力があった。
今という時代が、
地球の生物の歴史に「大量絶滅」が数回存在したことが発見された後であり、
天文物理学により「地球の生命は、いずれ地球から脱出しない限り将来確実に絶滅する」
という推測が成り立った後であり、
AI(人工知能)がまだ暴走する前であること。
それは、時代的に、とてもタイムリーなタイミング。
でも、やはり、